第二次大戦後のポアント事情
Facebookに靴屋が作るポアントという広告が入って来たけれど、88歳になる、第二次世界大戦後の知子先生(母)たちのポアントは、靴屋さんが試行錯誤して作って下さった物だったそうです。
子供の頃に私が見た母のポアントは、それはそれは丈夫そうな、綿の白いポアント。まだ、手を加える前のものが2足残っていました。(本番は当然、ピンクサテンのポアントで踊っていたそうです)触ってはいけないものだったので、私は触った事がありませんでした。当然木型から作るオーダーメイドしかなかったから、ある意味贅沢だったかもしれませんね。
ポアントは各メーカーにオーダーか一つの型しかなく、このメーカーかこのメーカーで巾のみ選んでいた私たちの世代よりも、自分にあったポアントという意味では恵まれていたのかもしれません。
少し話はかわりますが、母と同世代の方から、生肉をトウパット代わりに入れていたという話を伺った事があります。
肉どうしだから、痛く無いのだそう。違う意味で血染めのトウシューズだと笑っていらっしゃいました。(母はお布団に入れる様な綿=わたを入れていたそうです)
時代的にシルクのパンストの方が貴重だったとおっしゃっていました。その方は、綿のポアントは履いた事無いとおっしゃっていたので、靴屋さんがちがっていたのかもしれません。
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