私には励む以外に術がない

今日、4月25日は私の母方の祖母の命日ですが、
江川明先生のご尊父であり、知子先生の師匠の
武内正夫先生の命日でもあります。

アメリカ公演で70回以上のカーテンコール(時間に追われる今では考えられませんね)を受けられた、武内正夫先生は晩年、紫綬褒章を受けられ、舞踊の批評家をなさっておりました。

江川明バレエスタジオ(改築後 江川バレエ アカデミー)の公演前等に、時々、突然、私達の踊りをご覧になってくださったのですが、奥様からインターフォンで、連絡が入るとスタジオには緊張感が走りました。

靴箱に靴を入れ忘れた子の靴を片付け、誰かが使ったティッシュケースは、定位置に美しく置かれ、みんなの姿勢も更に伸びている様でした。

穏やかにお話をなさっておりましたが、芸にたいする厳しさと威厳に満ちた佇まい。

そんな厳しい先生でしたが、一方で面倒見が良くお優しい一面もお待ちでした。

母が教室を立ち上げた頃の発表会には、内弟子であった知子先生の為の作品を提供し、踊って来ださったり、江川明先生や、お弟子さんを派遣して下さったりしたそうです。

スタジオを瑞穂区に移転し、塩田バレエスタジオとなった時。まだ、スタジオが完成したばかりの頃にも先生はいらっしゃって下さり、知子先生に色々アドバイスをして下さいました。

また、発表会にも毎回東京からいらっしゃって下さり、舞台に上がり、お客様に向けてお話しをしてくださっておりました。
発表会にいらっしゃった時は、家にお泊まりになりました。

江川明先生の元で私が学んでいる時も、知子先生が上京すると、まるで、娘の様に迎え入れてくださり、私は同僚に
「なおちゃんのお母さん子供みたい」
と言われたほどでした。

そんな時の武内正夫先生は温かい眼をなさっておりました。私も知子先生にくっついて行って先生のお話を伺う事ができました。楽しいひと時でした。

この額は、武内正夫先生が、晩年、利き腕では無い左手で文字を書かれ、人々にお渡しになっていた物です。

「なおちゃんにあげるのだから、私が自分でお店に行って赤い額を選んだんだよ」

そうおっしゃって頂いた書の文字は(どなたにでも)

私には励む以外に術がない

素晴らしい言葉ですが、頂いた20代初めの当時の私は、ひたすら、レッスンに通い。休みの日や空いている時間も、当時はほとんど無かったバーオーソル(フロアバー)や江川先生のレッスンが上級者向けのクラスだった為他のクラス(他のバレエ団のソリストさん達も通う様な大人の基礎クラスや初級クラス)を受けに行き、努力しても努力しても、皆に追いつけ無いと思い、足底筋を痛め、踵が毎朝ガラスが刺さった様な痛みがある中でレッスンを続けておりましたので、この言葉が辛かった記憶があります。

お礼を言って受けとったものの、きっと辛い思いが顔に出てしまったのでしょう。
こういう時は喜ばなければいけないとおっしゃって下さいました。親心の様な物です。

今でも、タンスの上に置かせて頂いております。

解剖学学ぼうと思うと、知子先生に伝えたら、

「武内先生が聞いたらきっと喜んでくださるね。」

と言われました。

「江川先生には、また、直子は哲学してるっていわれそう。」

あの頃、ひたむきに励んでいた頃には程遠いですが、また、ほんの少しずつですが、歩みはじめました。

江川先生が亡くなられた時、葬儀の後で、
「どうしよう、私まだ、先生の教えて頂かなきゃいけない事がたくさんあるのに」
と泣いていた私に先輩の一人が
「大丈夫よ。先生が全て教えてくれてたでしょ。なおちゃんにもできるわよ」
そう言って慰めてくださりました。

そんな事を胸に頑張らなきゃね。

武内先生のご冥福をお祈りします。
祖母には和菓子でも買って供えましょう。

塩田バレエスタジオ Shiota Ballet Studio

名古屋市瑞穂区にあるバレエスタジオです。 地下鉄桜通線桜山駅より徒歩5分

0コメント

  • 1000 / 1000